2013年12月30日月曜日

ボーカルと日本語



おいらが若かった頃、「究極の選択」なるものが流行った。知らない人のために例示をしたいのだけど、あまりにも下品なネタしか思い出せないからやめておきます。埼玉のFM「NACK5」ではある番組の中で、究極の選択の再来企画として「どっちもやだね~」というのをやっている。

ではここで、ジャズをやっている人に究極の選択を迫ろうか。ジャズのライブなのに「英語でJ-POPを歌うボーカル」と「スタンダードを日本語歌詞で歌うボーカル」どっちがいい?

中にはジャズなのに「日本語でJ-POPを歌う」という最強のボーカルもいるけど、それは別の場所で語ります。あまりにもおぞましい記憶で、おいらの心の整理がついていない。

さて今回は後者である「スタンダードを日本語歌詞で歌う」について。

あるボーカルの歌伴をしたとき、ボーカルが「次は、『おいしい水』なんですが、これを日本語歌詞で歌います」といった。寡聞にしてその日本語歌詞の存在を知らなかったおいらは、その歌詞が彼女のオリジナルなのか誰かが録音したことがあるものなのかわからなかった。いまでもわからない。わかりたくもない。誰か調べて何かわかっても、おいらに連絡しなくていいから。

それはもう、何がなんだかよくわからなかった。1ついえるのは、「ボサノヴァ曲を日本語で歌うと昭和歌謡のようになる」という事実。

おいらがわからないのは、それがオリジナルの詞だとしたら、よくもまあそんなことをしたな、ということ。自分で歌ってみてジャズのライブよりは場末のキャバレーのほうが合っていることに気付かなかったのだろうか。

さらに、もしそれがオリジナルではなく何かのレコードで聴いたものだとしたら、それを聴いて「あ、これステキ。わたしもマネしちゃお~っと」と思えるものではないだろ~センス疑うよ。それほどひどい歌詞だった。

例外として、戦後間もないころ、美空ひばりとかがスタンダード曲を日本語で歌っていたようなのは、むしろ独特の雰囲気があるので嫌いではないのだけどね。

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