2014年6月23日月曜日

原曲を大切にしないアメリカ人とそれに気付かない人たち

昨日、曲名を大切にしないジャズミュージシャンの話をしました。

話は違うかもしれないけど、アメリカ人は外国の曲を演奏・歌うとき、原曲をまったく大切にしない。少なくともそういう時代があったことは事実。

その最たる例が、60年代のボサノヴァブームのときだ。英語でなければ絶対に受け入れないから、ブラジルの原曲に英語詞をつけた。主にレイ・ギルバート。ボサノヴァファンの間では蛇蝎のごとく嫌われている作詞家だ。
イパネマの娘を見てみよう。別の言語にするのだからある程度歌詞の意味が変わるのは許容しなければならない。それにしても優雅で哲学的なイパネマの娘がフツーの恋愛の詞になったということはボサノヴァファンの間で今でも許しがたいこととされている。

しかし、歌詞だけならまだいい。歌詞を強引に当てはめるためにメロディまでがまったく変わってしまったのだ。ボサノヴァのシンコペーションがなくなり、悪い意味で素直すぎるメロディになってしまった。「ゲッツ/ジルベルト」のジョアンとアストラッドを聴き比べればすぐわかる。「シナトラ&ジョビン」のほうはジョビンが自分で作った原曲を変えて歌っているからイマイチわからないというかジョビンそれはかっこわるいぞ、という感じになっているのだけど、それでもシナトラのメロディと音数からして全然違うことはよくわかる。

はっきりいって、これだけでイパネマという曲のすごさの4割が失われた。ボサノヴァファンの気持ちもよくわかる。

あ、このことは少しだけここでも書いたね。

で、そういう事実を知っているジャズボーカルは、さほどうまくなくてもポルトガル語でイパネマを歌おうとする。しかしそれを知らないジャズボーカルは堂々と「ガール・フロム・イパネマ」というアメリカ曲を歌うのだ。と~るあ~んどやんぐあんどらぶり~って、すごくダサい。
それだけならまだしも、女性ボーカルが「私は女の子なんで~ガールじゃなくてボーイで歌いま~す」とかいって「ボーイ・フロム・イパネマ」なんてのを歌ったりすると、もう気分はセレブロ・エレトロニコ、カエターノの「禁止することを禁止する」とかシコの「アコルダ、アモール」を大声で歌いたくなるのであった。




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