2017年12月18日月曜日

クラシックとおいら





コテコテのジャズファンはクラシックの話を嫌う(とおもう)。昔のおいらがそうだった。キース・ジャレットを聴く、というひとと知り合って話しているとそのひとが「グレン・グールドもいいよね」などというと一気に冷めて「ああ、こいつはジャズのことをわからない人種だな」などとおもったもんだ。
だから当然ウイントン以降にでてきた「ジャズミュージシャンがクラシックもやってみました」的なアルバムは、クラシックコンプレックスを持ったやつらが魂を売っていると見えたものだった。あ、ロンの場合だけは別ね。あれは意味不明w

そこまで毛嫌いしていたくせに、その当時のおいらはじつはクラシックのことなどまるで知らなかったわけで、モーツァルトのアイネ・クライネの第1楽章とヴィヴァルディの四季の春・第1楽章程度を知っている程度だった。あと「運命」の冒頭フレーズくらいは知っていたが曲を知っているとはいえない。
ところがジャズ聴き始めて20年以上たったとき、たまたまショパンのピアノ曲を聴いた。エチュード(作品10のほうね)の1番だ。ものすごい衝撃をうけた。これがクラシックのピアノなのかと。ピアノという楽器の魅力を存分に引き出している。ショパンに魅了されていろいろ聴いてみて、天才とはこういうひとのことをいうのだなとおもった。
なぜかそのときシューベルトにもハマった。歌曲で有名だがインストwのほうが天才性を感じさせる。詳しくは忘れたけど、速いワルツ(当時のワルツはみんな速いけど)を聴いたときはやはりこのひとも天才だなと感じた。

その後クラシックも好きになったけどやはり根っこはジャズファンなのだなと感じる。マーラーの5番より阿部薫の彗星パルティータのほうが苦痛がないと思えるからだ。




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