2014年3月21日金曜日

モードとフリー



故本多俊夫氏の本に、モードとフリーの記述がある。たしかこんな感じの内容だ。

モダンジャズにおいてスムーズなフレージングを実現するためにコード進行の細分化が進んだ。
その結果、細分化が行き着くところまで行くと逆にソロフレーズのバリエーションがなくなり、毎晩ライブで同じフレーズを弾いてしまうということになっていった。
このようなアドリブの限界に対処するには、まったく別のルール(手法)を開発するか、ルールを撤廃するかしかなかった。そしてジャズにおいて、その2つのアプローチが実際に採られた。

非常にわかりやすい説明だね。ミュージシャンの人は3-6-2-5でついつい同じフレーズを演奏するということがあるだろう。それに対処するために、モードの導入やフリーが登場したのだ。
ちなみに前回、コルトレーンがジャイアント・ステップスにおいて同じフレーズを吹いているということをいったけど、これはコード細分化でも2-5に関するものとは違う。

モードはともかくも、フリーはそのような必要性に迫られて登場したものではないものの、時代の要請に応えていたものだったためある程度の広がりを見せた。
ただ、フリーには偽者も多く混じっていた。デタラメをフリーだと言い張ることもできるからだ。サン・ラのアーケストラに楽器初めて1週間のプレイヤーが加入したのは有名な話。

個人的には「フリー要素」自体は嫌いではないんだけど、最初から最後までフリーなのはやはりつかれるしつまらない。

モード曲といえばマイルスの「So What」が典型だけど、あれは単に2コードと誤解されることも多い。ビル・エバンスの「Time Remembered」は「So What」とまったく違うアプローチで作られているけど、これまた典型的なモード曲だ。「So What」はそのモードでソロをとることを目的として作られているけど、「Time Remembered」は作曲に主体が置かれているように思える。一度演奏してみたりよくレコードを聴いたりすればすぐわかると思うけど、ドミナントがでてこないという、ある意味すごい曲。それでいてしっかり起承転結を持っている。エバンスのすごさがよくわかる曲だね。

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