2017年2月12日日曜日

フュージョンとは

以前に言ったような気がするけど、はっきり覚えていないので改めて。


70年代のフュージョンとは何だったのか。ジャズ界をかきまわした、あれだけ強烈なムーブメントであったのに、いやむしろそれだけ協力だったからこそウィントンのアコースティック回帰路線に簡単に負けてしまった感がある。しかし、フュージョンは悪だったのか。


おいらのフュージョン論はこれである。
ジャズはコルトレーンのせいでとにかく難解な音楽になってしまった。一般人にはおもしろくもなんともない。マイルスの電化もあったけど、あれも全然ポップではない。そんな音楽、限られた人しか聴かない。売れない。

ロックのやつらはあんな程度のレベルなのに大多数にウケている。しかし、ジャズはコマーシャルになってはならんのだ・・・電気を使うとしてもザヴィヌルのような意味不明な感じでなければならない・・・


というアホな思い込みを、取り払ったのがフュージョンだった。「いやいや、ジャズミュージシャンだってコマーシャルなことやっていいんですよ。電気楽器でロックのリズムで。それはそれでおもしろいもんですよ」と、ジャズの足かせを取り払ったのだ。コード進行の制約を取り払ったのがマイルスやフリー派の人たちだったのだが、それでもジャズの行き先は難解という方しか向いていなかった。それを、「固いこと言わず、なんでもいいよ」ということで生まれたのがフュージョン。ロックと融合したわけではない。 だって、フュージョン=ロックとは限らないでしょ。フュージョンにより、真の意味でなんでもありになった。よりフリーなサウンドもありだし、かなり大衆向けなポップスやボーカルもあり。ディメオラのフラメンコとの融合なんて電気音楽じゃないしね。ラテンリズムも中途半端でなく、どんどん入ってきた。それと、テーマとソロのコード進行が違うというのがホントに普通に行われるようになった(MJQのジャンゴがあったのに、それまで一般的ではなかった)。

フュージョンという時代を経たからこそ、その後のジャズの編成も自由になったと思う。ロンとジムホールのデュオとか、当たり前に思えるけど、フュージョンにより「本当に何でもあり」ということを経験した結果生まれたと思う。ギターのデュオ、トリオなんてまさにそう。フラメンコではあたりまえ?うんそうだよ、でもジャズの世界にはなかったわけだ。そういうあらゆるものが取り入れられるようになったのがフュージョンムーブメントだったのだと思う。

はっきりいって、フュージョン好きの人はアコースティックを嫌いではない。でもアコースティック原理主義者は電気を嫌い。仲良くしようよ~と言いたい。




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