2016年1月24日日曜日

ティンパンアレイ

ある本に書いてあったこと。
いまジャズのスタンダードとなっているミュージカル曲たち、いわゆるティンパンアレイの作曲家による曲は、完全分業体制によって低レベルで量産されていたのだそうだ。

要するに、日本の某大物作曲家のように、「メロディを考えるけどハーモニーを付けられない」メロディ担当、それからハーモニー担当、歌詞担当・・・というように粗雑品を量産していたのだそうだ。

作詞作曲が分かれるのはいいけど、ハーモニーが付けられないというのは信じられないね。アーヴィング・バーリンがそうだったのは有名だけど。だからバーリンの曲はメロがいいわりにはコード進行がつまらないのかもしれない。

コール・ポーターはティンパンアレイのワーグナーだから、歌詞もハーモニーもいかにも個性的で、分業をしていないのはわかる。

ハロルド・アレンの曲もハーモニーがすばらしいけど、彼の曲を聴いているとハーモニーが重要だということを痛感する。メロディだけ書いて「作曲」というのはやっぱり違うと思う。コード進行に著作権を認めるわけではないけど、「Come rain or come shine」のメロディだけを考えてハーモニーを考えていないとしたら、それはあの曲を名曲にした功績にはならないよなあと思う。


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