2015年8月18日火曜日

「ジャズ・レディ・イン・ニューヨーク」



 

ロレイン・ゴードンは現在のヴィレッジ・ヴァンガードのオーナー。本屋じゃないよ。BN創設者アルフレッド・ライオンと結婚して、離婚した後マックス・ゴードンと結婚した女性である。
ブルー・ノートとヴィレッジ・ヴァンガードという、ジャズ全盛期の大変重要なものに関係のある女性であるから、当然ミュージシャンのエピソードなどを期待するのだけど、当事者ではないからかほとんど書かれていないし内容もイマイチで不完全燃焼。文章もとりとめのないことをつらつらと書くスタイルで、ほんとにわかってるのかなと疑ってしまう。

スコット・ラファロの伝記を書いたラファロの妹と同じで、著者本人のことなどどうでもいいのに自分のくだらない(とおいらには感じる。失礼!)ことを書いている部分が多い。もっともこっちはラファロ伝記とちがって、そもそも自分のことを書いた本なのだが。

でもさ、何歳のときに誰それによって処女喪失とか、ライオンとの新婚初夜に生理になったとか、はっきりいってくだらん。ただのバカかと感じる。日本人の感覚でいうと、そんなことあけすけに言うものではない、と思う。おいらが古くさいだけなのか?

あと、ミュージシャンの伝記だとさ、たいてい2世代くらい前のことから書いたりするけど、それと同じように祖父祖母のことを書くのはやめてほしい。著者はミュージシャンではないのだから。「あんた自身に興味がある読者は誰もおらんぞ」と背中に貼り紙をしたいくらいだ。ましてや見たわけでもないのに「ポール・ホワイトマンはガーシュインに『ラプソディ・イン・ブルー』の作曲を頼んでいたりした」などという書き方はどうだろうか。

文句ばかりでわるいが、何度かでてくる「近所の男はみんな自分に気があった」的発言はうんざり。やたらと写真があるから自信があるのかもしらんけど全然いいとおもわない。あとづけ発言も多く、「ブルーノートのレコードをはじめて聴いたときは大変すばらしくこれを作ったひとは誰かしらないが天才だとおもった」などといっている。いい音楽に感動することはあっても「つくったやつすげえ」などとおもうか?エヴァンスのトリオすげえ、オリン・キープニュースは天才だ!とかおもう?エレクトリック・マイルスのテオ・マセロくらい制作に関与していたとしてもそんなふうには思わないのではないかな。

こんな感じでずっと続くのかよ~とうんざりしていると、いきなりおもしろい話が登場したりする。いままでになかった斬新な見方でジャズの黄金時代を語っているのは新鮮だ。「歳をとって奇妙な格好をしてからのマイルスは好きではない」などと堂々といえるひと他にいる?でもこんな部分はほんの少し。自分の反戦活動とか、どこそこに旅行に行ったとか、どんなドレスを着たとか、娘がどこの学校に通ったかとか、ほんとくだらん。しょっちゅうでてくる疑問文「私が浮気したかですって?」「私もマリファナ吸ったかですって?」、こんな感じにでてくるのだが「きいてねえよ」とつっこみたくなる。とにかく「私が」「私が」の連発。ときどき有名人の名前を延々と挙げるけどジャズ・ミュージシャンはひとりもでてこなかったりするし。

それにしても、原文が悪いのか訳がわるいのか、文章から著者があほだと感じることが多い。ほとんどが短い文章で「○○でした」「○○でした」の繰り返し。感情の動きや説明も何もなくそれがつづくから唐突な印象をあたえる部分がおおい。引っ越した家が気に入らんとか、誰それが嫌いだとか、散文の連続で事実だけ言われても何のことやらと感じる。ヴェトナムに行く話のあたりはかなりそれがひどく、小学生の文章かとおもってしまう(おそらく口述だから仕方ないのだろうけど)。ミュージシャンのエピソードを話すにしても、もう少し慎みを持ったほうがいいのではないかな。関係者全員故人だからといってもさ。

はっきりいってジャズ要素はかなり少ないうえに稚拙な文章であるのでまったくおすすめできない本です。本屋で音楽関係の場所に置いてあるのすら疑問を感じます。たぶんさ、確認したわけはないけど、原題は「ジャズレディ」ではないんじゃないのか?こういう題名にすればあほなジャズファンが買うと思ったとか。

あ、あとね、中山康樹訳ってのもあったけど、ジャズ評論家とかジャズ関係者でありプロではないひとによる翻訳ってどうなのかねえ。そう、行方均訳ってどこまで本当なの?それも稚拙さを増している原因かもしれない。

昔、伊丹十三訳という小説を読んだけど、ひどいもんだった。中学生の直訳みたいな感じで、「語り手の主人公は幼い子どもだから、あえてこういう文体にした」とか言い訳が書かれていたけど、いやいや、違うだろ、余計そういう文体はやめるべきでしょ。自分の父親のことを「彼」とかいうんだよ。確かに英語は指示代名詞の言語だからすぐに「He」になっちゃうけどさ、生きた日本語はそうではない。それなのに翻訳能力ないから「彼は、彼の服を着たあと、ボクに『きみの帽子をかぶりなさい』といった」みたいな訳文なわけですよ。まあ、プロの翻訳者による本でもそういうのはたくさんあるけどね。指示代名詞をそのまま訳すのは素人。「彼は彼の服を」でなく「彼は自分の服を」であるべきだし、もっというなら「彼は服を」でいいわけだ。著者だって意味のわからん似非日本語より意味の通じる意訳を望むと思うがねえ。
おっと、まったく関係ない話になったね。毎度のことながら。



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