2017年7月18日火曜日

意識せずとも

福田重男のバッキングのリズムを出すことについての文章よんでいたら、こんなのがあった。



「とにかく自分が目指すジャズが日常生活で特別な何かであってはダメ。空気とまではいかなくても洋服くらいにならないといけない。要するに朝から晩まで来る日も来る日もCDなりテープなり何でもいいから聴いて聴いて聴きまくって、吐いてもジャズしかでてこないくらいにならないとダメということ。少なくともある時期にこうした経験をしないことには身体にジャズを覚え込ませることができない。しかもこれが苦行ではなく、楽しくてしかたないくらいでないと・・・。こういう生活を続けていると気が付いたときにはジャズのなんたるかがわかってしまっているものだ。「何たるか」は人それぞれちがうだろうが」



まったく正論。ジャズをそれほど好きでもないのにやっていて、結局ジャズっぽくなっていないひとがいるが、その理由がよくわかる。

楽器を演奏しないジャズファンでも、いわゆる「口アドリブ」とかはすると思う。ジャズファンはピアノのコンピングのタイミングを体得しているので、楽器は演奏できなくてもその感覚がある。しかし、技術はすごくあるのにどうしてもバッキングできないピアニストもいる。バッキングに限らずソロも、だね。結局、ジャズを好きじゃないから、聴いていないだけなんだよね。



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