2014年1月17日金曜日

評論家に物申す 2



評論家の中には、かなりテキトーなことをいったり、同業者が使ったフレーズを検証もせずマネをするひとがいる。おいらがジャズを聴き始めたときは、だいぶ振り回されたよ。

例えばね、いつのまにか、ビル・エバンスといえば「リリシズム」「耽美主義」といわれるようになったけどさ、耽美主義ってどういう意味なの?おいらわからんよ。エバンス独特の美しい世界があるのはわかるけどさ。

エバンスをドビュッシーに似ているといっている評論家もいた。でも、その評論家はドビュッシーを聴いたことないのではないかな。ドビュッシーのピアノ作品を聴くと、チック・コリアのほうが近いと思う。

それから、よくみかけるこれ。
「彼のバラード演奏は感傷的にならずに、純粋に素材として扱っている」
このフレーズ、日本語ライナーで飽きるほど目にした。「感傷的にならず」ではなく「甘くならず」とか「甘さに流されず」とかいくつかバリエーションがある。

でもね、これっておかしいと思う。感傷的になっているプレイのほうが、おいらは好きだ。感情移入とは違うのかな?どっぷり浸かっているバラードはすばらしいと思うよ。マイルスのバラードだって、一歩退いて素材として扱っている、なんてものでなく、ちゃんと曲の感傷に浸っていると思うんだけど。
それこそ「歌詞を知らなきゃ演奏できないよ」というのは、単に素材として扱っているわけではないということの証明。
「純粋に素材として扱う」というのは、せっかくバラード演奏に適している曲なのに、アドリブするための材料として割り切って演奏しちゃっている「トホホ」バラードなんじゃないの?ハンク・モブレーの「If I Should Lose You」とか。


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