おいらは70年代フュージョンが大好きだ。ギターやってるとロックと同一視されて、だからフュージョンも好きなんだな、と思われることもあるが、それは違う。
60年代はいきすぎたモードとかコルトレーンまでもフリーをやりだしたりして、ミュージシャンですら何をやっていいかわからない時代だったと思う。こういうのは70年代前半まで続くんだけど、のちにザビヌルも「あのころは何をやっていいかわからなかった」といっているほど。
ブルーノートの60年代後半のサウンドは、あれはあれですごくおもしろいんだけど、フリーに片足突っ込んだような絶妙というか微妙な曲は、コード感がでたら負け、みたいな80年代以降のピアニストのようなサウンドにも通じるところがある。
おまけにビートルズの席巻によりロックの時代の到来。マイルスでなくても「あんなに音楽を知らないやつらが売れて、おれたちが売れないのは納得いかない」とみんなが思っただろうね。
ちょっと電気楽器を使ったら、やれロックに迎合だのいわれたんじゃないかな。
ところが、何がきっかけかわからないけど、75年くらいからミュージシャンが吹っ切れた。
「ロックっぽいことをやってどこがわるい、いいじゃんああいうのも。」
「わかりやすい、ポップな音楽のどこがわるい。こむずかしいことのほうがえらいのか」
それで、ロックらしさやポップでキャッチーな音楽をやりだした。ウェザーもジャコ加入を境にそういう路線に転向したね。
そうなると、もともと演奏テクニックや音楽知識では他のポピュラー音楽家をしのぐジャズ・ミュージシャンだ、非常にクオリティの高い音楽を作り出した。ポップだけどじゅうぶん鑑賞できるクルセイダーズのストリート・ライフとかラリー・カールトンのルーム335とかがいい例だ。
なんとなくやってはいけないという無言の圧力から解放されて、いまやりたいことを自由気ままにやりだしたのが70年代フュージョンの時代だ。逆に、ロックでもポップでも、とにかくなんだっていいじゃないか、という考え方から、フリーも改めて評価されたし、ロックに限らず世界のいろんなリズムにも触手がのびて、フュージョンの多彩さはすごいものとなった。
というのが、おいらの70年代フュージョン観です。
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