2014年3月22日土曜日

別テイクとCD追加曲



ある日、新聞広告をみたら、毎度おなじみ「ジャズの名盤」のCDの広告だった。
なんだ、またBN再発の広告かと思ったら、世界初の別テイク収録との触れ込み。よく見ると、サムシンエルスの「枯葉」やモーニンの「ブルースマーチ」、ショーターの「ウィッチハント」の別テイクなど、確かに当時においては世界初発表の別テイクだ。少し聴きたくなった。

ドルフィーのアウト・トゥ・ランチ別テイクは、ちょっと勘弁だけど。

おいらも別テイクが聴きたくてすでに持っているアルバムを改めて買ったことがある。ただ、別テイクって聴いた直後にどうでもよくなるよね。へえ、そうですか、というだけで終わる。よほどほれ込んでいるミュージシャンでないと、一度聴けばもうじゅうぶんだ。結局、別テイク目当てでCDを買うと後悔することになると思う。

ところで、別テイクに限った話じゃないんだけど、CD追加曲について思うことがある。
例えばブルーノートのCD。必ず別テイクを本テイクの次に収録している。モーニンの次にモーニン別テイクを収録しているが、アホなのかなあと思う。

なんで同じ曲を2回続けて聴かねばならないの?いくらジャズファンでも、それはいやだよ。チャーリー・パーカーのサヴォイのアルバム?あれはオリジナル盤がそうだからいいんだよ。SP時代はああいうものだ。それとこれとは話が違う。アルフレッド・ライオンが考えた曲順を無視するなといいたい。これもプロデューサーのセンスが光るところなんだから。

演奏を聴き比べるため?CDだからそんなの手作業で簡単にできるでしょ。余計なことするな。アルバム構成ということの大切さをまったく理解していない。

こういうCDだと、ジャズファン以外の人に簡単に貸すことができない。そもそもCD追加なんてのはロックやポップスにはあまりない(たまにあるけど)。だから、同じ曲が2つ続くのがオリジナルアルバムのフォーマットだと誤解されてしまい、アルバムを通して聴いた感想が「なんか疲れたわ」となる。おいらたちの地道なジャズ裾野拡大運動をじゃまするな。

たとえばオシャレなバラード集をかけて美女と一緒にいるとしよう。いいムードになってきたのに、(あ、次の曲は別テイクだ)と思ってCDを1曲進めたら、かっこわるいでしょ~「私と一緒にいるのに、CDのことばかり気にして!」とか。それがなくても、
「どうしたの?急に」
「ん、いや別テイクがね」
「別テイクって?」
「うん、そもそもジャズはアドリブの音楽で、演奏するたびに内容が違うんだけどね・・・」
といううんちく会話がなかったとしてもアウト。

で、同じ曲が続いてもアウト。
ムードが高まってきてすごくいいところで
「ちょっとまって。この曲、さっきと同じ曲よね?」
うん、別テイクだからね」
「別テイクって?」
「うん、そもそもジャズはアドリブの音楽で、演奏するたびに内容が違うんだけどね・・・」

ロジャー・ラビットにおけるボ・ディドリー・ビートのように、ジャズファンにはジャズの話を振られたら語らずにはいられないという走性があるよね。

別テイクは最後に収録すべし。

それと、オリジナルレコードが全10曲で、なぜか追加曲が、3曲目、5曲目、11曲目、とかだったりするパターンがある。あれはなんなのだろう?エバンスのアンダーカレントもそうだったな。コリアのナウヒーもそうだったけど、なんだあれは?
録音順?アホか。

さっきと同じだけど、プロデューサーが考えた曲順を無視するな。アナログ盤という時間的制約があろうとも、それが本来の曲順だったのだから、勝手に変えるな。

似たようなことで、頼みもしないのにコンプリート版、というのもある。評論家の中山康樹がテオ・マセロの編集こそ重要、といってマイルスのコンプリート盤をけなしていたけど、同感。が、その話はまたの機会にしよう。


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