著者はアシュリー・カーン。過去の記事で書いたけど、このひと「カインド・オブ・ブルーの真実」という本も著している。「真実?はあ?何が?」という、そもそも謎なんて何もないのに売らんがためにハッタリ的な名前をつけたというものだった。内容はたいしておもしろくもないレコーディングのドキュメントをつらつらと書いて不必要にページ数を増やしたというものだった。
どういうことかわからんが最近になってから「カインド・オブ・ブルー創作術」という名称にかわって売られている。原題がどうなのか、日本の出版社による勝手な邦題なのかわからんけどつまらなかったのは事実。
ということで、この「至上の愛の真実」も読む前からつまらないのだろうなと感じていた。表紙に(帯ではない!)しっかりと「序文:エルヴィン・ジョーンズ」と書かれていることがすでに本編がつまらないことを予感させる。
読み始めてまずおもったことはコルトレーンの「至上の愛」が最高の(それこそ至上の)ジャズのアルバムであり、世界中の人間が絶賛して、これを超えるアルバムは存在せず、セールスとしても大ヒットしているかのように書かれていることに驚いた。優れた非凡なレコードではあるが神格化しすぎではないだろうか。このへんがすでにアシュリー・カーンである。
たしかにジャズのセールスで100万枚超えたというのはすごいけどね。本当かどうか知らないけど、RTFは4万枚しか売れなかったのに「大ヒット」とされたのだという。
本の厚さはけっこうあり、レコード1枚でこんなに語ることあるのかとある意味感心したんだけど、案の定コルトレーンの生い立ちからのことが書かれている。でた、このパターン!よくありがち、優れたミュージシャンは幼いころから神童なんでしょうな。
もっとも、だからこそおもしろく読めるのであり、ずっと「至上の愛」について書かれていたらうんざりするだろう。いちいち文句を言うつもりはないが、「カズン・メアリー」のメアリーさんが結婚して今は別の姓だとか他の親戚についても旧姓をカッコ書きしてあるがわざわざ書かなくてもよい。もともとの旧姓知らんし。
この手の本でお約束の「初めてこれを聴いたときは・・・」がなかなかユニークだ。フランク・ロウ(アリスのバンドで70年代サックスやってたひと)、マクラフリン、サンタナなどジャズ系、東洋思想系のミュージシャンが「初めて聴いたときはまったく意味がわからなかった」と言っているのに対して、ロック系のミュージシャンたちは「初めて聴いたときは総攻撃をくらったとおもったね」とか「すごいからみんなに聴かせて回った」とか理解可能発言をしていること。あ、一応言っとくと皮肉です。
とはいえ、多くの関係者の証言をもとにコルトレーンの足跡をたどるのは読んでいて大変おもしろい。ボブ・ワインストックの「はじめてコルトレーンを聴いたのはマイルスがスタジオに連れてきた時だ。すぐに楽器はちがうけどバードの再来だとおもったよ」という類のやりすぎコメントも多数あるしね。またでたね、アメリカ人のリップサービス。うそつくなっつーの。初期のコルトレーンは実際に「クビにしろ」といわれるほどへたくそだったぞ。そもそもバードとはスタイルが違うし。
マイルスのバンドをクビになった理由は麻薬に溺れていたからだというのは有名なはなしだけど、当時の状況として「ステージ上でぼーっとして鼻クソをほじっていた」というのだからマイルスじゃなくてもクビにしたくなるわなw
この本にかいてありあらためて納得することがBNとプレスティッジのレコードの作り方のちがい。当日いきなり声をかけられてスタジオに呼ばれてそこで打ち合わせて楽しいセッションを録音するのがプレスティッジ、入念にリハーサルをしてから録音するのがBN。コルトレーンの同時期のアルバムを比べるとよくわかるよね。BNが高く評価されている理由が他とくらべることでよりわかる。レコードというのは音だけでなく雰囲気も伝えるものなんだなといまさらながら感じた。57年のプレスティッジのアルバムはどれもブローイングセッションであまり高く評価できないのに、なぜかBNのブルートレインは同年(え、56年だったっけ?)なのに大名盤なんだからさ。
あまり派手なことはしていないコルトレーンであるけどエピソードはいろいろと興味深い。ヴィレッジ・ヴァンガードのライブ盤が発売されたときB面のチェイシン・ザ・トレーンがやり玉に挙がった。そのときの評がすごい。「退屈王国への踏み車」。うーん、昔の評論家は言いたいこと言っているね。あたりさわりのないものより100倍いいよ。おいらは好きだけどね。
「真実」という題名は行き過ぎだけど、最後のテナーがもうひとりでてくる部分(以前はファラオ・サンダースが吹いたといわれていたよね)はコルトレーンのオーバーダヴィングでまちがいないことがわかったし、あの部分はテナーだけでなくベースとドラムも重ねて、結果的にセプテットになっているというのは知らなかった。「至上の愛」セッションとその影響が中心に書かれているけど、アセンションなどその後のレコードのことも書いてある。知っているようで知らなかったフリーになってからのコルトレーンのことがいろいろわかった。客が半分帰ったなどのエピソードはおかしくなってからのジャコを連想したね。
本の後半はどうでもいい文章が延々とつづくという印象。「カインド・オブ・ブルーの真実」と同じで読後の感想は「結局何?」みたいな感じ。決定打があるわけでもなくワクワクする内容でもない。帯に書いてあることは予想通りはったり。藤岡氏によるあとがきで、アシュリー・カーンはコルトレーンと並ぶ天才と書いてあったが、このもやもや感は釈然としない。
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