ONE
NIGHT WITH BLUE NOTE
年をとったとはいえ、歴史をつくってきたブルーノートのジャズメンはやはり違うなあと思う。全曲必見です。85年の撮影だから30年くらい前なんだけどね。
映像でみるといろいろと気づくところがあるよね。ロン・カーターなんかほんと特徴的ですよ。トレードマークのブラック・ナイロン弦だし、弦高がとにかく低い。だから軽く指だけで弾いている。それである程度ビート感をだすのだからある意味すごいのかもしれない。ベースの弦高が低い場合、「軟弱」といわれる昨今だけど、ここまで大物になると違うもんですな。例の必殺技「グィーン」もバシバシやってますわ。ハッッチャーソンの名曲「ブーケ」ではやりまくり。調子に乗ってるロンにフレディ・ハバードがソロをふろうとするけどソッコーで断ってる(とおもわれる)シーンが笑える。
さらに、当時売出し中のスタンリー・ジョーダンのなんとすばらしいことか。大道芸人のようにみられることもあるひとで、ともすると過去のひとと思われがちだけど、ここでの演奏は芸術的。おいらは大好き。記憶があいまいだけど、ジャズを聴き始めたときに一番最初にしっかり聴いたギタリストがスタンリーかもしれない。
いわゆるライトハンド奏法の究極でもあり、ロック小僧でライトハンドがどうのこうのいう人は、必ずスタンリーのプレイを見た(聴いた)ほうがいいね。
いわゆるライトハンド奏法の究極でもあり、ロック小僧でライトハンドがどうのこうのいう人は、必ずスタンリーのプレイを見た(聴いた)ほうがいいね。
それとセシル・テイラー。本家はやはり圧倒的。大変申し訳ないが山下洋輔さんを二番煎じに感じてしまう。そんなことはないんだけどね。
一番の見どころだとおもうのはミシェル・ペトルチアーニ擁するチャールズ・ロイド・クインテット。おいらは、ペトルチアーニは新生ブルーノートでの第1作「ピアニズム」がピークでありその後はどんどん商業主義的に堕落していったと感じているので、ここでの演奏はオーラのようなものを感じざるを得ない。ブルーノート以前のペトルチアーニはものすごく感動的な演奏だったのだけど、まさにそのころの演奏。
それに比べてロイドはなんだ?レスターみたいにサックスをななめに吹いて、絶えず上下に振りながらブロウするから、彼だけ固定マイクではなく取付型のマイク。けっこうしっとりとしたテーマのときから、水飲み鳥みたいにずっと上下に振っているから、すご~くおかしい、はっきりいって頭がどうかしたのではないかと思う。
それはいいとして、自分のソロがおわったらおもむろにマラカスを振りはじめる。かなり悦に入ったような、トランス状態でヘンなポーズで。はっきりいっておかしい。管楽器奏者がソロおわってからパーカッションをやるという行為はパーカッション・プレイヤーをバカにしてるように感じるよ。「こんなのはおれでもできる」みたいな。
それはいいとして、自分のソロがおわったらおもむろにマラカスを振りはじめる。かなり悦に入ったような、トランス状態でヘンなポーズで。はっきりいっておかしい。管楽器奏者がソロおわってからパーカッションをやるという行為はパーカッション・プレイヤーをバカにしてるように感じるよ。「こんなのはおれでもできる」みたいな。
だいいち自分のソロのときにはその音はないわけだから、そもそも本当に必要なのか、ともいいたい。音楽的に必要なら初めから別にパーカッション奏者をいれるべきでしょ。もしかしてギャラを払いたくなかったのか(スタン・ゲッツはギャラを抑えるために若手を起用していただけだし。才能ある若手にチャンスを与えるのが目的だったのではないw)?
仮にこれらのことすべてに納得いく理由があったとしても、よりによってマラカスはねえだろ~あのカラフルな色あいのやつだぜ~。おいらが同じバンドにいたとして(無理だけどw)リーダーがいきなりマラカス振りだしたら恥ずかしくてやめたくなるよ・・・実際、デジョネットはロイドが見えていないふりをしているように感じたぞw
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