まあWRのファンブックみたいなもんだ。よくもわるくもない。しかしザヴィヌルの生前のインタビューが、ちょっとひっかかったね。こんな内容。
「WRを いまきいてもまったくおかしくない。当時はマハヴィシュヌやRTFというスーパーバンドといわれるバンドがあったが今それを聴くと過去の音楽にしか聴こえない。しかしWRは常に新鮮に聴こえる」
おーい、それ逆でしょ。ほかのところでも言っているけどさ、残念ながら、80年代WRのダサさといったらないよ。ザヴィヌルのコ メン トとWRの変遷をみてるとわがままを正当化しているなあと思わざるを得ない。だってさ、ネフェルティティを聴いて「これだ」と思ったとかいってWR結成した くせに、「おれはもっと骨組みがある音楽がやりたかった」とかいってアルフォンソ加入でしょ。1stのころは自画自賛しているくせにねえ。「順番にソロをとるとか曲のABB形式とかうんざりだ」とかいって。まあ変化の激しい時代だから考え方も変わるということなのかなあ。
初期のころについて「1stアルバムみたいにたまたまよくなることもあればまったくかみあわないときもある。その場合は延々と無意味な こと をやり単に時間だけ長くなる」「何をやっていいのかわからなかった」というのはフリーというものの本質をついているとおもう。結局、フリーというのは自分がおもしろいからやるだけであって、聴かせるという要素はほとんどないとおもう。
あと、ジャコ関連の記述としては、ザヴィヌルはジャコのコンティニュームをテープで聴いたはずだけどこの本のインタビューではドナリーを聴いたといっている。まあどっちも入っていたのだろうね。悪書「WRの真実」ではキャノンボールの冒頭ベースソロは自分が書いたといってるけど、ここでは「ジャコのベストソロのひとつ」 みたいにいっている。どっちやねん。
しかし正直な話、どこがスーパーグループなんだろう。いいのはジャコだけでしょ。アルフォンソ時代も、ショー ターの影響が強いおかげでザヴィヌル色がうすまっているので結果的に聴けるサウンドになっているけど。いまになってWRでのショーターの重要さがわかるね。もしショーターがいな かったらザヴィヌルのやりたいほうだいだったはずだ。
改めて考えると、RTF、ヘッドハンターズ、マハヴィシュヌ・オーケストラなどははっきりとした個性があるし、才能あるリーダーがそれをほとんど一人で(音楽的にはみんなで、だけど)つくりあげたところがあると思う。それに比べてWRは個性がなく、できあがったものは散漫でセッション的要素が強く、アルフォンソ、ジャコ、ヴィトウスなどの強力なメンバーにひっぱられる、むしろそれに依存しているバンドという印象だ。他のバンドと一番違うのは、リーダー格のザヴィヌルがいなくても成り立つ(と思う。うっ、これはかなり毒舌かもしれない)ところだ。まあ他のキーボード・プレイヤーがいたならその人のカラーになるわけで、無個性というのは言いすぎかもしれないけど、やっぱりザヴィヌルの必然性がないよね。前にも言ったように、作曲だってたいしたもの書いていないよ。バードランドはいいとしても、ほかの名曲だってさ、たとえばグルーシンとかボブ・ジェームスだったらもっといい曲書いたでしょ。
とはいいつつやはりおいらはWRが好きなんだよなあ。東京ライブは何度聴いても途中で寝たけど(本当)。いいのはほぼジャコ時代だけなんだよね。
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