2018年6月21日木曜日

ジャズらしい演奏について


以前この場でも言ったように、昔おいらは個性をはきちがえていた。というより、自分に嘘をついていた。おお、かっこいい表現だな。違う違う、逃げていた、と言うべきだろう。
ジャズを始めたばかりのころ、「コピーとかしてもそれは誰かに似ることであって個性をつぶすことになるのではないか。仮にジャズらしさ、バップらしさが出なくてもそれは個性だから、それでいい」という趣旨のことを友人に言ったら、こう諭されたのだ。
「お前は、たまにSJ誌を見たり若手の新譜を聴いて「こんなのジャズじゃない!」とか言わないか?若手が出来損ないのインド音楽みたいなのを演奏して「これがボクのジャズです」とか言ってると「ふざけんな、こんなのジャズじゃない」と言わないか?個性という言葉でごまかして、お前がやろうとしているのはそれと同じことだよ」と。

そうなんだよね。音楽を言葉に例えるのはちょっとアレだけど、日本語の文法無視して文字だけをでたらめに羅列して「これがボクの文学です」なんて言っても通じないのと同じで、ジャズの語法を無視して演奏してもそれはジャズじゃない。
個性という理由でジャズ語法を避ける人は今でも周囲にいるけど、昔のおいらと同じく、逃げているか、ホントにそれにも気づかないほどまだジャズをわかっていないかのどちらかだろう。

別にそういう人がジャズをやらなくてもいいんだけど、かたくなに「俺はこれでいいんだ、これが俺のジャズだ、弁村さん文句あります?」と言ってきたら(似たようなことがあったw)、やっぱりジャズをなめるなと言いたいよね。





↓よろしければ投票してください!

音楽(ジャズ) ブログランキング